先日、バンドのレコーディングに向けたリハーサルがありました。
この日は残念なことにベース担当氏がお休み。
普段に比べてまるで地面が消えたかのような心許ないサウンドで、あぁやっぱりベースは偉大だなと思いました。
以前なにかのドッキリ番組で若手の、結構な人気バンドがベースだけ引くフリをして音がなっていなかったらメンバーは気がつくのかというよくわからないドッキリをしていましたが、意外なことに数人気づいていなかったという結果に…。そんなわけないでしょ…。ヤ○セじゃないならこのバンドやばくないかな…と思ったのですが、まぁ実際に売れているのでこちらとしては何も言えないのかな、でもなー、とその時はモヤモヤしました。
ですが、別な時にネットのトピックで、ベースがいてもいなくても分からないという人は結構いるらしいということがわかり、とても驚きました。と、同時に「なるほど、ベースの音や音域、何を弾いているのかを普段聞いていなければそこに存在していても知覚できないものなんだな」と気がつきました。
吹奏楽系の指導で似たようなこととして一番イメージするのは音程のズレについてです。
吹奏楽部に入部したての子たちは、合奏で音程が合う合わないの話をされますが、始めたてのころはそもそも音程が合っているのか合っていないのかすらわからない状態の子も多いです。
それが、注意深く聞き、自分の方が高いかな?今は低い気がするなとアタリをつけながら音程を調整して合う合わないを試していくうちに、だんだんと音程の感覚が磨かれていきます。
料理も、小さい頃は「甘い、苦い、おいしい、まずい」くらいしかわからなかったものが、なんの食材が入っているかがわかり始め、調味料、香辛料にも気がついたり、食材の切り方までわかるようになったり、香りやお皿のチョイスなど、大人になるにつれて気がつけることが増えていきます。これは自分の体験の蓄積と、知識によって知覚できる範囲が広がったということでしょうか。
音楽もそういう部分がたくさんあるのかなと思います。同じ曲を聴いていても、同じ曲を演奏していても、その人の経験と知識によって知覚できる範囲に違いがでてくる。
演奏する側にとってはこれはとても大きな違いだと思います。
聴いていいる人が「なぜかは説明できないけれどあの人の演奏は同じ曲なのに感動する」というようなことは演奏する人が、何をどれだけわかってやっているのかという部分に左右される部分がとてもあると思います。
そういったことを学ぶことで音楽の楽しみ方も深まるのかなと思います。
僕も勉強を継続したいなと思います。
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